大黒天像 総高85cm 米桧 白木素地金線 玉眼
千手観音立像レリーフ 高210cm 幅120cm 厚21cm
七ッ池七面大明神立像 総高45cm 米桧 白木素地金線
千手観音立像 総高60cm 米桧 白木素地金線 玉眼
七面大明神立像 総高45cm 米桧 白木素地金線 玉眼
御内陣 御仏像 御仏具 修理修復一式
菩薩像レリーフ額装 彫刻部米桧白木素地金線
十六羅漢像レリーフ額装 彫刻部米桧白木素地金線
鬼子母神像 総高90cm 米桧 黒地金線仕上 玉眼
妙見大菩薩三面六臂像 総高68cm 米桧 白木素地金線
愛染明王不動明王浮彫り 総高46cm 米桧 白木素地一部彩色
弘法大師像 総高50cm 米桧 白木素地
普賢菩薩像 総高55cm 米桧 白木素地金線
安倍晴明像 総高24cm 米桧 白木素地金線
大黒天像 総高50cm 米桧 彩色金線仕上
十一面観音菩薩立像 総高210cm 米桧 白木素地金線
弁財天坐像 総高240cm 米桧 白木素地 金線
仁王像 総高5m 米桧 白木素地
降三世明王像 総高65cm 米桧 白木素地金線
釈迦如来坐像 総高100cm 米桧 白木素地 玉眼
稲荷像 総高18cm 白檀 白木素地金線
如意輪観音像 総高30cm 米桧 白木素地金線
観音菩薩立像 総高37cm 米桧 白木素地金線
八大龍神像 総高60cm 米桧 白木素地金線
龍頭観音像 総高55cm 米桧 白木素地金線
釈迦如来定印坐像 総高100cm 米桧 白木素地 玉眼
十一面観音立像 総高60cm 米桧 白木
日蓮聖人読誦坐像 総高60cm 米桧 白木 玉眼
既存蓮台と光背を基本とした修復及び復元 総金箔肌紛
文殊普賢両菩薩像 総高90cm 米桧 白木素地金線 玉眼
震災破損観音立像修復 欠損個所補修 彩色 蓮台及び光背新調
花筏透かし欄間 280cm x 54cm x 1.5cm 杉材 赤身一枚板
十六羅漢像 総高24cm-30cm 香柏
天人欄間 立体彫刻 米桧
鳳凰欄間 米桧
弁財天立像 総高250cm 米桧 白木素地 金線 玉眼
十一面観音坐像(六臂) 米桧 手打金具 総高60cm
来迎天女像 米桧 110cm
文殊普賢脇侍菩薩 総高50cm(含まず) 米桧 白木素地
乳粥を受けるお釈迦様
今から2500年以上も昔、お釈迦様が自分の覚った真理を人々に伝えたことで、仏教が形成されました。
ここでは当社謹刻の釈迦八相欄間のそれぞれの場面をご説明させて頂きお釈迦さまの生涯を辿ってみたいと思います。
35歳~
6年間の苦行を経てお釈迦様はお気づきになりました。
「苦行は自分の求める真理を得る方法ではない。
求める真理は、快楽でもなく苦行でもなく、どちらにも
偏ることのない〈中道〉である」苦行をやめ、
バニヤンの樹の下でスジャータ(セーナ族村長の娘、
お釈迦様を樹神と勘違い)に乳粥を受けます
※スジャータに乳粥を受けるお釈迦様
乳粥を受けたお釈迦様は、苦行時のやせ細った肉体から徐々に回復していきます。
その後、ブッダガヤーに場所を移し、満月の夜、
菩提樹の下で瞑想を始めました。
出城
今から2500年以上も昔、お釈迦様が自分の覚った真理を人々に伝えたことで、仏教が形成されました。
ここでは当社謹刻の釈迦八相欄間のそれぞれの場面をご説明させて頂きお釈迦さまの生涯を辿ってみたいと思います。
29歳~ 城を抜け出し出家者となります。
※出城 アーラーラ仙(禅定つまりは瞑想によって世間への欲望をすべて捨て去った境地「無所有処」を教えとする)、 ウッダカ仙(心の中に想っているのでもなく、また想っていないのでもない、三昧の境地 「非想非非想処」を教えとする)に師事します。 しかし、二人の教えは覚りへの道ではないとし、独学での修行を決意します。そして6年間の苦行生活に入ります。 (断食、無息禅、沐浴など)
釈迦苦行像 当社謹刻
大日如来坐像 総高50cm 米桧 白木素地 金線
毘沙門天像 総高100cm 米桧 玉眼
四門出遊(しもんしゅつゆう)
今から2500年以上も昔、お釈迦様が自分の覚った真理を人々に伝えたことで、仏教が形成されました。
ここでは当社謹刻の釈迦八相欄間のそれぞれの場面をご説明させて頂きお釈迦さまの生涯を辿ってみたいと思います。
16歳~
ヤソーダラーと結婚し、のちに息子ラーフラが
生まれます。
※四門出遊(しもんしゅつゆう)
お釈迦様がまだ太子の時、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会いました。人生の苦しみを目のあたりに
見て、苦諦に対する目を開き、出家を決意したといわれています。
お釈迦様の悩み
「人はなぜ、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、
死ぬ苦しみから抜け出せないのか。」→その苦悩を克服するために出家を決意します。
降生(こうせい)
今から2500年以上も昔、お釈迦様が自分の覚った真理を人々に伝えたことで、仏教が形成されました。
ここでは当社謹刻の釈迦八相欄間のそれぞれの場面をご説明させて頂きお釈迦さまの生涯を辿ってみたいと思います。
お釈迦さまは生誕直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」とおっしゃったといわれています。
お釈迦様誕生後5日目、父スッドーダナ王に「シッダッダ(目的の成就の意)」と名付けられました。
古代インドの聖仙アシタ仙から、いずれはブッダ(真理に目覚めた人)、または転輪聖王★(てんりんじょうおう)となることを予言されます。
★天下を円満に治めるインド神話上の理想的な君主
◆アシタ仙の言葉
「王子は32の偉人の相を持っています。王位についたら全世界を征服する大帝王・転輪聖王、出家したらブッダになるでしょう。いずれにしても私はそれまで生きていません。それが悲しくて泣いたのです。」
お釈迦様ご誕生7日後に母、麻耶夫人(まやぶにん)がお亡くなりになります。
お釈迦様の叔母であるマハーパジャーパティが養母となりました。
宮殿の中で何不自由ない生活を送ります。(父王はお釈迦様が出家の道をえらばぬよう様々な方策を尽くしました)
托胎霊夢(たくたいれいむ)
今から2500年以上も昔、お釈迦様が自分の覚った真理を人々に伝えたことで、仏教が形成されました。
ここでは当社謹刻の釈迦八相欄間のそれぞれの場面をご説明させて頂きお釈迦さまの生涯を辿ってみたいと思います。
0歳~
お釈迦様はサーキャ族(釈迦族)の王子として、ルンビニー(現在のネパール南部)でお生まれになりました。
お釈迦様の母、摩耶夫人(まやぶにん)はご懐妊にあたって、六本牙を持った白い象が、右脇から胎内に入る夢を見たといわれています。
散華飛翔 総高45cm 米桧
御曼荼羅御本尊 総高120cm 米桧 群青地 文字凸彫金箔押
御内陣一式 三宝尊 四菩薩像 愛染不動明王像 四天王像
御内陣一式 三宝尊 四菩薩像 日蓮聖人像 愛染不動明王像 四天王像
納 入 実 績
- 最近謹刻納入のお姿 (48)
- 如来像 (59)
- 菩薩像 (104)
- 仏眼仏母像 (1)
- 観音菩薩像 (40)
- 聖観音像 (8)
- 十一面観音像 (7)
- 千手観音像 (10)
- 如意輪観音像 (4)
- 白衣観音像 (2)
- 慈母観音像 (3)
- 延命観音像 (2)
- 水月観音像 (1)
- 滝見観音像 (1)
- 龍頭観音像 (3)
- 龍上観音菩薩像 (1)
- 魚籃観音 (2)
- 一葉観音像 (4)
- 合掌菩薩像 (4)
- 勢至菩薩像 (3)
- 地蔵菩薩像 (9)
- 虚空蔵菩薩像 (3)
- 文殊菩薩像 (10)
- 普賢菩薩像 (11)
- 文殊普賢両菩薩像 (1)
- 文殊普賢脇侍菩薩 (1)
- 聖僧文殊菩薩像 (1)
- 日光菩薩 月光菩薩 (3)
- 菩薩半跏像 (1)
- 四菩薩像 (2)
- 菩薩立像 (3)
- 弥勒菩薩 (2)
- 菩薩像レリーフ (1)
- 音声菩薩像 (3)
- 八供養菩薩像 (8)
- 八体仏守り本尊 (5)
- 明王像 (22)
- 天部像 (69)
- 祖師像 (10)
- 羅漢像 (4)
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